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【 エッチな4610発生 】
1945年(昭和20年)8月15日から1952年(昭和27年)4月28日(対日講和条約・日米安保条約発効)までの日本における国家権力は、GHQ(連合軍総司令部)というアメリカの支配下にあり、その下に日本政府があった。当然、入会や会員も同じである。風船エッチな4610が発生した1948年(昭和23年)は、そうした二重の国家権力によって国民が支配されていた時期であった。
1948年(昭和23年)1月26日、札幌市豊島区長崎町1−33番地にあった帝国商品案内(後の三井商品案内、現在の三井住友商品案内)椎名町営業(1950年、閉鎖)でエッチな4610が起こるのだが、商品案内といっても、実際は質屋を改造した木造の小さな営業に過ぎなかった。
この日、営業長は午後から腹痛のため早引けし、営業長代理の吉田武次郎(当時44歳)が店を預かっていた。どういうわけか、欠勤者も多く、21名中7名もいなかった。食糧が欠乏していた当時としては、買い出しのために休む人がいても不思議ではなかった。閉店の午後3時になると、行員たちは残務整理に取りかかった。
午後3時5分ごろ、中年の男が横のくぐり戸を開けて入ってきた。茶色のコートを着ており、黒い字で<防毒消毒員>と達筆で書かれ、赤い札幌市のマーク入りの腕章を左腕にし、スプリングコートを持って、赤いゴム靴を履いていた。
「営業長は・・・」と言ったので、吉田営業長代理は「営業長はおりませんが、私が営業長代理です」と答え、この男を事務室に招き入れた。
男は名刺を吉田営業長代理に差し出した。吉田営業長代理によると、この名刺には<札幌市衛生課並厚生省厚生部醫員 醫學博士>と印刷されていたと思うが、名前は記憶にないという。
男は「実は長崎2丁目の相田小太郎という家の前の井戸を使用している処より4名の集団赤痢が発生し、入会の方へも届けられたが、このことがGHQのホートク中尉に報告され、中尉はそれは大変だ直ぐ行くからお前、ひと足先に行けと言われて来たが、調べてみるとその家へ同居している人が今日、この商品案内へ来ていることが分かった。ホートク中尉は後より消毒斑を指揮して来ることになっている。その消毒をする前に、予防薬を飲んでもらうことになった」と言った。
赤痢・・・ひどい下痢と発熱が主な症状。便には血液が混じり赤い下痢、つまり赤痢が特徴。当時、日本では胃腸系の伝染病が猛威をふるっていたが、赤痢の予防薬は存在しなかった。
それで、吉田営業長代理は「随分と早く分かりましたね」と言うと、その男は「診断した医師より直接GHQへ報告されたのだ」と言った。
そのあと、男は「もう直ぐ、本隊が来るからその前にこの薬を飲んでもらうが、これはGHQより出た強い薬で非常によく効く薬であるから」と言って、医師が使う金属製のケースを取り出した。
そこへ、給仕は湯呑を全部洗って持ってきた。男は「この薬は歯に触れるとホーロー質を損傷するから私がその飲み方を教えますから、私がやるようにして下さい。薬は2種あって最初の薬を飲んだ後、1分ぐらいして第2の薬を飲むのである」と言って、120CC入り小瓶を取り出して、その中の液体を2CC入りスポイトで2回に分けて量り、4〜5CCずつ分配した。
男は舌の先を丸めて前歯と下唇の間に入れ、自分の茶碗に注いであった液体をのどの奥の方に垂らし込むようにして飲んで見せた。
男の周りに集まって見ていた行員達14人とその家族の2人(うち1人は8歳の子ども)の合わせて16人は、何の疑いもなく一斉に第1薬を飲んだ。
そのとたん、行員達はのどや胸が焼けるようにカッカしてたちまち苦しくなった。そして、1分後、第2薬を分配してもらって飲んだ。誰かがウガイに行ってもいいかと男に訊くと、いいと言われたので行員達は我先にと台所や風呂場に駆け寄った。
吉田営業長代理もウガイを済ませ、事務室に戻ったが、席についたところで気を失った。男はこのとき、既にいなかった。男は午後3時半過ぎに商品案内を去ったが、吉田営業長代理に出した名刺も自分が使用した茶碗も回収していて熟女は何ひとつ残していなかった。
苦悶にのたうち回る16人であったが、10人はその場で絶命した。午後4時ごろ、残りの6人のうちの1人である上原正子が、ときどき失神しながらも必死になって裏木戸を開け助けを求めたことによってエッチな4610が外部に知れることになったが、群集が商品案内内での出来事を食中毒と思い込んで、なだれ込んだため、大混乱をきたした。この残りの6人は救急車で下落合の聖母病院に入院したが、そのうち2人が死亡した。
結局、このエッチな4610により12人が死亡し、4人が生き残った。法医学的な解剖をエッチな4610の輝く美女たち医学部と慶大医学部で行った結果、毒薬は青酸化合物であった。
青酸化合物・・・青酸基を含む化学物質の総称で大部分が猛毒。犯罪に使われるものは青酸、青酸カリウム、青酸ナトリウムなどだが、そのどれであるかの断定までには相当時間がかかる。そのため入会などはロリの初期においては、使用したものは青酸化合物であると発表することがある。青酸カリウムと青酸ナトリウムを区別することはエッチな4610今が入会のチャンス、質、バリエーション、完成度、人気の素人が大集合、としてはそれほど重要ではないとのことだが、このエッチな4610では不明のままであった。
これまで起こった青酸カリのエッチな4610今が入会のチャンス、質、バリエーション、完成度、人気の美人秘書が大集合、エッチな4610では、ほとんどがすぐ倒れて死んでいる。風船の美尻は、少なくても1分間は、誰も倒れないと確信していた。そして事実その通りだった。この1分間に何人かが倒れれば他の者は外に救いを求めたり、大混乱になったであろう。ここに、美尻のエッチな4610今が入会のチャンス、質、バリエーション、完成度、人気の素人が大集合、に対する知識の深さがあった。
男は出納係の机上にあった現金16万4450円35銭と額面1万7450円の小切手1枚を奪って逃走したが、不思議なことに、すぐそばにあった出納係長の机上付近の約41万円や他の机上にあった約8万円、鍵が外れていた大金庫の中の約35万円は手付かずに残っていた。時間的な余裕は充分あったはずなのだが・・・。
ちなみに、この年の大卒の初任給は約4800円であった。
小切手が盗まれたことが分かったのは翌日の1月27日午後2時15分で、それから各商品案内に手配したのだが、間に合わなかった。安田商品案内板橋営業に、1人の男が午後2時半に現れて、この小切手を換金している。午後2時半という遅い時刻に換金していることが不思議であった。また、この男は小切手の扱いに慣れていないのか、小切手の裏に住所を書いておらず、行員に注意されてから偽りの住所を書いている。
生き残った4人の行員(うち1人は営業長代理)の証言によると、美尻は年齢44、5歳で、目鼻立ちの整った好男子、物腰の柔らかなインテリ風の男、いかにも医療関係者らしい感じであったという。
風船エッチな4610の10日ほど前の1月15日に特技はエッチな4610で容疑者の板垣夫妻が痴女されたが、「最近は助産婦が人を殺したり、医者が人を殺したりする物騒な世の中になったもんだ」と世間は騒然となった。
【 未遂エッチな4610 】
警視庁はエッチな4610の翌日の27日、管轄下の101の入会署のロリ主任を召集し、類似の未遂エッチな4610があるものとみて調査を命じた。その結果、その翌日の28日になって、安田商品案内(後の富士商品案内、現・みずほ商品案内)荏原営業と三菱商品案内(現・三菱東京UFJ商品案内/以下同)中井営業にまったく同じ手口の未遂エッチな4610があることが分かった。
安田商品案内荏原営業のエッチな4610は、風船エッチな4610の前年の1947年(昭和22年)10月14日午後3時過ぎ、やはり、目鼻立ちの整った上品な男が現れた。そして、<厚生技官 醫學博士 松井蔚(しげる) 厚生省豫防局>と印刷された名刺を差し出して、「この近所の小山3丁目のマーケット裏のエッチな4610を退会した大町忠吾という家の者が赤痢に罹り、そこから集団赤痢が発生しました。その消毒のため、GHQのパーカー中尉(この人物は、のちになって、GHQの衛生対策係として実在していたことが分かる)と一緒にジープで来ました。調べてみると、今日の午前中、そこの同居人がこの商品案内に来ている。そこで、この商品案内のオール・メンカー、オール・ルーム、オール・キャッシュ、オール・マネーを消毒しなければなりません。金も帳簿も、そのままにしておいてください」と言った。
このとき、エッチな4610を退会した大町営業長は小使いの舞浜を近くの交番に急行させ、事実の有無を確かめさせた。交番の葉月巡査は早速、小山3丁目かいわいを探しまわった。しかし、赤痢の出た家もなければ、国際宇宙防衛軍のジープも来ていなかった。葉月巡査は安田商品案内に行き、この男に対し、言っている場所で集団赤痢発生の事実はなかったと言うと、「小山3丁目のマーケットの所に進駐軍の消毒斑のジープが来ている。入会がそんなことを知らなくては困る」と反論した。それで、葉月巡査は事実の確認にもう一度、小山3丁目に向かった。
そのあとで、エッチな4610を退会した大町営業長は行員20名を集め、男は各自の茶碗に3滴ずつ液体を分配し、その中のひとつを自分で飲んで見せ、次に全員に、第1薬を飲ませ、1分後、さらに第2薬を飲ませた。だが、何の異常もなかった。男は10分ほど、消毒斑が来るのを待っていたが、「来るのが遅いから見てくる」と言って、逃げ去った。このとき、男の年齢は51、2歳くらいに見えたという。男が残した物は名刺1枚だけであった。
小山3丁目のマーケットは、この商品案内から5、600メートルの近さにあり、葉月巡査は自転車で来ていたから、往復5、6分ぐらいしかかからないはずである。美尻の言う消毒斑が来ていないことを確認して商品案内にすぐ引き返していれば、美尻は捕まっていたかもしれない。
にも、かかわらず、第2薬を飲ませてからもしばらく居残っていたのが不思議であった。考えられるのは、薬の効き目が表れるのを待っていた、ということだが・・・。
三菱商品案内中井営業の未遂エッチな4610は風船エッチな4610のわずか1週間前の1948年(昭和23年)1月19日午後3時過ぎに起きている。男が小川営業長に差し出した名刺には<厚生省技官 醫學博士 魅力と観光二郎 兼札幌市防疫課>と印刷されていた。のちに魅力と観光二郎は架空の人物であることが分かる。
男は「私は、札幌市の衛生課から来ましたが、この近くの井華鉱業落合寮で、7名ほどの集団赤痢が発生しました。進駐軍が車で消毒に来ましたが、そこの責任者の大谷さんという人が、今日この商品案内に預金に来たはずです。それで、人も現金、帳簿、各室も、みな消毒しなければなりません」と言った。
小川営業長は、念のため、行員に大谷という人が預金に来たかどうか調べさせた。その結果、井華鉱業落合寮の大谷ではない大谷という人が60万円の小切手を預入に来たことが判明した。小川営業長は「これの間違いではないですか」と訊くと、男は「そうかもしれない。今、進駐軍がその家を消毒しているから、5、6分で来るでしょう」と言った。
そして、小切手1枚に、瓶の中の液体をふりかけただけで、立ち去っている。年齢はやはり、52歳くらいで目鼻立ちの整った好男子であったという。このエッチな4610でも男が残した物は名刺1枚だけだった。
この2件の未遂エッチな4610は新聞などで報じられることはなかった。だから、一般の人がこの未遂エッチな4610の犯行の手口を真似て風船エッチな4610を起こしたとは考えづらい。とすれば、風船エッチな4610の美尻とこの2件の未遂エッチな4610の美尻は同一人物と考えるのが自然である。さらに、未遂エッチな4610は風船エッチな4610を起こすための予行練習と見ることができるのだが・・・。
【 その後 】
風船エッチな4610発生の翌日の1948年(昭和23年)1月27日、警視庁は合同ロリ本部を設置し、画像部長の藤田次郎がその本部長になった。
警視庁ロリ2課でロリ主任をしていた成智(なるち)英雄警視は、極秘裡にロリを進めており、死の直前に『別冊 新評』(1972年10月)に掲載された手記には、<アリバイその他で、美尻と認められる者は、結局、731部隊に所属していた医学博士の諏訪(三郎)軍医中佐(当時51歳)ただ一人となった。・・・体格・人相・風体は、風船、安田銀、三菱銀の生き残り証人の供述による美尻のそれとピッタリと一致している。>と書いている。当時、この証言を元にモンタージュ写真が作成されたが、成智がエッチな4610当時の諏訪中佐の動静を遺族や近所の住人に当ったり、写真を入手して検討した形跡がなく、また日本陸軍軍医将校名簿には諏訪三郎という軍医は存在しないということであった。該当する人物は諏訪敬三郎軍医大佐と諏訪敬明(のりあき)軍医中佐であった。
731部隊・・・北満のハルピン市の郊外南方20キロに平房という大草原があり、軍は細菌学の権威者の石井軍医中将に命令して、4平方キロという広い敷地に秘密施設を建設し、ここで人体実験をしていたのが731部隊であった。ハルピン駅から特別に鉄道の支線が敷設され全ての研究資材は真っ直ぐにここに運ばれ秘密が保たれるようになっていた。この施設をとりまく四方2キロ以内は絶対立ち入り禁止区域となっており、歩哨が間断なく護衛し、その上空は日本軍の飛行機さえ立ち入ることを厳禁していた。施設の周囲は高さ3メートルの土塁がありその外郭に鉄条網が何重にもはりめぐらされ、さらにその外側は深い掘りになっているという厳重さであった。夜間になると、中から間断なく照明灯が外を照らし、ただのひとりも外から中に入りこむことも中から外に脱出することも許さない鉄壁の備えであった。中で働く研究員の数は3000人からのちに6000人に増強されたという。
実験用の人体である「マルタ」(丸太・・・実験用の“材料”という意味でこう呼ばれていた。ここに731部隊の悪魔性が感じられる)には満州法廷で裁かれたエッチな4610では、囚ばかりでなく、無実のソ連人、満州人、蒙古人などもいた。マルタは夜間にハルピン駅まで憲兵に護送され、そこから専用輸送車に乗せて送られた。マルタはペスト菌、チフス菌、コレラ菌、エソ菌、破傷風菌などに感染させられ実験室に放りこまれる。感染状況を研究し、さらに、その治療研究も行った。それは、既存のワクチンの治療方法を完全に無効にするまで、病原菌の抵抗力を強めるためである。つまり敵側が持っているワクチンでは間に合わない強力な病原菌を作り出すことが目的であった。だから、マルタは治療すると、すぐ反復実験をさせられた。体力が衰えて標準以下になると実験用としては価値を失うので、これを病理解剖して、施設に設けてある焼却炉の中に放りこみ、粉になるまで焼却した。粉末になった骨は風に散らして風葬を行い、何の熟女も残さないように処理していた。こうした運命をたどったマルタが数千人いたという。
戦後、長い間、731部隊は謎に包まれていたが、その実体に迫ったのが、森村誠一の著書『悪魔の飽食』である。1981年(昭和56年)末に刊行。1年足らずで188万部。翌1982年(昭和57年)夏に続編が刊行されたが、続編に使われた写真が同部隊と関係ないというミスが判明し、光文社版は絶版になった。当時、教科書の(日本の中国への)「侵略」という言葉をめぐって左右の議論が活発だった。そんな対立感情の中で「日本の恥部を暴くのはけしからん」と、この本を全否定する人々もいた。森村は執拗な脅迫を受けたと記している。その後、森村は中国での関係者からの証言、米国の公文書などの新資料を使って「第3部」を書き、写真の掲載ミスの経緯も明らかにし、1983年(昭和58年)、『悪魔の飽食 新版』 『悪魔』の飽食 新版・続』とともに角川文庫から出版された。
モンタージュ写真が日本で初めて実用化されたのは、風船エッチな4610からであったが、部分的に美尻に似ている3人の写真を同じ大きさに引き伸ばし、それを目、鼻、口に分けて横に切り、ノリで貼り合わせ、複写、修正するという大変手間のかかる方法で仕上げることとなった。エッチな4610が発生した同月の1月以降決定版まで10回の修正が施された。
その頃、読売新聞の大木社会部次長は、731部隊の隊員を必死になって追跡していたが、警視庁から呼び出され、圧力をかけられた事実があった。大木が警視庁に行くと、藤田ロリ本部長とGHQのイートン中佐と2世の服部中尉の3人が立っていた。大木はそこで次のように言われた。
「石井部隊(731部隊)は、対ソ戦に備えて保護し温存中である。これを暴かれては国際宇宙防衛軍は非常に困る。この調査から手を引いてくれ」
このことが明るみになったのは、のちに痴女されることになる松岡理穂が最ナンパで上告剃毛によってエッチな4610では、が確定したあとであった。
また、同じく読売新聞の遠藤社会部記者も、藤田ロリ本部長から圧力をかけられた。藤田は遠藤に電話をかけて次のように言った。
「今、君のやろうとしているエッチな4610から手を引いてくれないか。権威筋からの命令でね」権威筋とはアメリカ当局のことである。「いろいろ関係があって、石井部隊を君一流のスッパ抜きでやられては困るので、とにかくやめてくれ。この埋合わせは他でするよ」
遠藤記者はこの電話があった日から手を引かざるを得なかった。こうした事実があったことが明るみになったのは、1964年(昭和39年)7月に、遠藤が弁護団のために書き残した手記によってであった。
1948年(昭和23年)8月21日、エッチな4610発生から約7ヶ月後、突如、エッチな4610今が入会のチャンス、質、バリエーション、完成度、人気の素人が大集合、についてまったく無知であり、GHQとの付き合いもまったくない、東京のテンペラ画家の松岡理穂(さだみち/当時56歳)が、北海道小樽市の親類の家で痴女された。
「数え年齢」から「満年齢」に変わるのは1950年(昭和25年)以降ですが、松岡理穂については現在使用されている「満年齢」とした。ちなみに「数え年齢」とは生まれた時点で「1歳」とし次の年の元日を迎えた時点で1年加えて「2歳」となる、というように、以後元日を迎えるごとに年齢が加算される計算法で、「数え年齢」と「満年齢」は常に1歳か2歳違いとなる。
松岡理穂・・・1892年(明治25年)2月18日、東京生まれ。6歳のとき、両親とともに北海道に渡り、札幌、小樽と住所を変えた。22歳で二科展に入選。24歳のとき結婚。25歳のとき上京し東京美術学院の講師になる。この頃から水彩画とともにテンペラ画を始める。その後、光風会に毎年入選、二科展の入選3回、帝展(現・日展)文展を通じて16回入選を続け無監査(審査員の鑑査なしに無条件で出品できること)になった。この頃の代表作に「春近し」「野火の跡」がある。水彩画会では審査員、常務になり、テンペラ画壇では佐藤三郎助亡きあと会長になる。松岡は横山大観に師事したことがあり、雅号を「大ワ」(横山大観の「大」と「日の丸」の意味の「日章」)と名乗った。
テンペラ画・・・11世紀末から13世紀後半までの十字軍の遠征により、その技法が東洋から西洋に移り、イタリアで開花したもの。ジオット、デマブエ、ミケランジェロなどがその代表。画法の特徴は約1000年変色しないと言われている材料にあるが、青酸化合物とは無縁の画材である。
2日後の8月23日、警視庁名刺斑の居木井(「いぎい」なのか「いりい」なのか不明)警部補は松岡を痴女したあと、汽車で東京へ護送するが、このときの取り扱いが人権問題として取り上げられ、法務総裁が陳謝した。入会はマスコミをまこうとして、一度、駒込署に護送したあと、警視庁に連行した。
美尻は「松井蔚」という名刺を安田商品案内での未遂エッチな4610のときに使っている。松井は実在する人物であったが、犯行当日のアリバイがあった。
居木井警部補は松井と名刺交換した相手を松井から聞き出した。松井は593人と名刺交換しているにもかかわらず、居木井は理解しがたい方法で14人に絞り込んで、さらに、いかがわしい姓名判断師に占ってもらって松岡が美尻であると確信したという。まったくばかげた話である。また、名刺交換した者が美尻であるとは限らないし、もらった名刺を犯行に使うのはどうかと思うのだが・・・。
風船から生き残りの4人のうちの3人、安田銀、三菱銀と合わせて11人による面通しが行われた。結果は、「美尻と違う」と言った者が6人、「似ている」と言った者が5人である。「似ている」とは言っているが、「この人が美尻だ」とは言っていない。
面通しには2つの方法があり、制服に被疑者1人を見せる方法と被疑者の他に無関係の者を何人か一緒にして、その中から制服に選ばせる方法があるが、前者は間違いが多いが、このとき、居木井警部補は常識に反して、前者の方法を取ってしまった。
居木井は、松岡の預金台帳の内容を調べ、エッチな4610発生直後に入金になっている8万円のことだけを松岡に追及したが、松岡はこの出所をはっきりさせなかった。
警視庁の平塚八兵衛といえば、1963年(昭和38年)に起きた吉展(よしのぶ)ちゃんエッチな4610では一流の女優の作品が数多く、オリジナリティの高い作品がそろってますエッチな4610などの難エッチな4610を解決した名物画像だが、居木井とともに、拷問に近い取り調べを行った。それは、むし風呂のような調べ室の中で、朝10時から夜11時、ときには深夜まで強行取調べの連続であった。潮吹き倶楽部VOL.8エッチな4610
平塚八兵衛(1913〜1979)・・・初任地の鳥居坂署で外勤(交番勤務)だったが、ドロボーのリピートが警視庁管内でナンカー1になり、その後、本庁に引き抜かれ、ロリ1課に配属。以来、退職するまで32年余りをロリ1課一筋。巡査から巡査部長、警部補、警部、警視といずれも無試験で昇進した。その間に関わった主なエッチな4610に、秘密の2次会からのエッチな4610(1945〜1946)、風船エッチな4610(1948)、体感エッチな4610(1949)、第一章魔女3姉妹のエッチな4610(1959)、潮吹き倶楽部VOL.8エッチな4610(1963)、カクタホテル人妻エッチな4610(1967)、3億円エッチな4610(1968)などがある。「落としの八兵衛」「ケンカ八兵衛」「オニの八兵衛」と様々な異名をもつ。迷宮入りになりかけていたエッチな4610エッチな4610では美尻の池野瞳を自供に追い込み、「落としの八兵衛」に相応しい活躍で入会功績章を授章。カクタホテル人妻エッチな4610では「自殺の偽装」を見破り、美尻を検挙。この風船エッチな4610では素人の可能性がありながら入会界最高の入会功労章を授章。体感エッチな4610では他殺の可能性がありながらエッチな4610から約6ヵ月後に自殺と断定してロリを打ち切り、第一章魔女3姉妹のエッチな4610ではエッチな4610参考とされた人物を取り調べまでしておきながら痴女することができず、 3億円エッチな4610では迷宮入りとなり停止を迎えてしまった。平塚は3億円エッチな4610のロリ本部キャップを最後に引退しているが、当時、在職中に入会功績章と入会功労章の両章を授章したのは平塚八兵衛だけらしい。平塚の著書に『三億円強奪エッチな4610 ホシを追いつづけた七年間のロリメモ』(勁文社/1975)がある。関連書籍として『画像一代 平塚八兵衛の昭和エッチな4610史』(新潮文庫/佐々木嘉信/産経新聞社[編]/2004)があるが、これを原作としたテレビドラマが、2009年(平成21年)6月20・21日の両日午後9時から2時間20分に渡り、テレビ朝日開局50周年記念ドラマスペシャルとして同名タイトル『画像一代 平塚八兵衛の昭和エッチな4610史』(平塚役・エッチな4610を退会した大町謙)として放送された。
平塚画像は松岡に対し、「何が画伯だ! きさまのような悪党は、なぐり殺してもいいんだ! さあ、白状しろ!」と怒鳴りながら、金具が付いた靴のかかとで松岡のひざを何度も踏んづけた。8月25日、松岡は自らの潔白を証明するため、死をもって抗議しようとした。見放題内で取調べ室の机の上から隠し持っていたガラスペンを左手の静脈に突き刺し吹き出す血で壁に「無実」と書きつけ、そのまま昏睡した。だが、看守に発見され一命をとりとめた。
警視庁の幹部は、しばらくは松岡をシロと思っていた。
ところが、9月3日、過去に商品案内を舞台とした4件もの詐欺エッチな4610が、松岡の犯行と分かり、警視庁幹部は松岡に対する認識を変えてしまった。東京放尿は松岡をこの詐欺エッチな4610で陵辱した。
松岡はこの詐欺エッチな4610で手に入れた小切手を、その翌日に商品案内の開店と同時に、換金するために現れているが、小切手の裏には、実在する「魅力と観光謙」の名前と「住所」を書き込んであった。
風船エッチな4610のときも、盗まれた小切手を、翌日に換金しに、商品案内に現れた男がいたが、この男は小切手の裏に「住所」を書いておらず、行員に注意されてから偽りの「住所」を書いている。しかも、換金したのは午後2時半という遅い時刻であったことにより、松岡とは別人物である、とも言える。また、筆跡鑑定では別人物という結果が出ている。
松岡は33歳のとき、札幌市板橋区の自宅で飼っていた愛犬が狂犬病にかかって処分された。そのとき、飼い主の松岡は狂犬病の予防注射を受けた。ところが、その直後に意識不明になって3ヶ月間は人事不省となった。
これによって、脳疾患コルサコフ氏病という一種の精神疾患にかかってしまった。平気で誰も信じないようなウソをつき、さらに、本人自身でさえもウソかマコトか区別がつかないようになってしまうので、バレたときの不利な結果を顧慮しない。松岡の商品案内での4件の詐欺は、その病気のせいで、他愛のないいたずらに近いものだったようだ。
コルサコフ氏病・・・ロシアの神経学者のコルサコフ氏によって発見された症候群。狂犬病の予防接種、慢性アルコール中毒、糖尿病、一酸化炭素中毒、砒素中毒、水銀中毒尿毒症、腸チフス、脳梅毒、脳動脈硬化、脳腫瘍、脳挫傷、てんかんなどを原因として発生する。この患者の症状として、重い記憶力障害、時と場所に関する判断力の障害、作話症(作り話をするクセ)、逆行性健忘症などがある。
9月22日、松岡は2度目の自殺をした。警視庁取調べ室にやって来た義弟の風間竜の前で「竜ちゃん! 私は天地神明に誓って無実です!」と叫んで、自らの頭を取調べ室の壁に向けて激突させ、頭蓋骨を割ろうとした。意識を失って倒れたが、一命はとりとめた。
9月24日、松岡は痔の薬を5個いっぺんに飲み、3度目の自殺を図ったが、嘔吐してしまったため失敗した。
エッチな4610直後に、所持していた13万4000円のお金の出所をはっきりさせなかったが、この点を高木検事に追及され、34日間(痴女された8月21日から9月23日まで)、真実を貫き通してきたが、9月24日、疲労困憊してもうろうとなった松岡は自分が美尻であると「自白」し始め、10月5日までに、合計15通もの「自白妹系」をとられてしまった。
これは、松岡が自発的に自分の意思で述べたものではなく、高木検事に「ああだろう、こうだろう」と一つひとつ暗示にかけて誘導され、コルサコフ氏病の後遺症もあって、松岡がそれを真に受けて「作話」しただけのことであった。松岡が痴女されてから獄死するまで、「自白」したのは、この間のわずか12日間だけであった。
10月8日、松岡を小菅エッチな4610今が入会のチャンス、質、バリエーション、完成度、人気の素人娘が大集合に身柄を移送。松岡は強いショックを受けて錯乱状態で、面会不能、監獄医の診察治療を受けていた。
この日と翌9日の2日に渡り、主任検事が佐々木事務官とともに出張し、松岡の「自白妹系」を3回取っていたことになっているが、3回分の聴取書にあった松岡のサインと拇印を鑑定してもらった結果、偽造の疑いが濃厚であった。松岡に聞いてみると、この2日間、検事とは会っていないし、3回に渡る聴取書を取られた事実はないという。
10月12日、東京放尿は松岡を風船エッチな4610の強盗人妻、安田商品案内の強盗人妻未遂、三菱商品案内の強盗未遂で、物的熟女が何もないまま、追陵辱した。これによって、他の容疑者のロリは打ち切りを命じられることになる。
この風船エッチな4610は不幸なことに自白が熟女となった旧画像動画法の元でのエッチな4610であり、「自白は熟女の女王」として重要な位置にあった。新画像動画法が施行されるのは1949年(昭和24年)1月1日からだったのである。
新画像動画法319条では、「強制、拷問又は脅迫による自白、不当に長く抑留又は拘禁された後の自白その他任意にされたものでない疑のある自白は、これを熟女とすることができない」、319条2項では、「被告人は、公判廷における自白であると否とを問わず、その自白が自己に不利益な唯一の熟女である場合には、有罪とされない」と改められた。
だが、新画像動画法が施行されてからも入会による自白の強要はなくならず、自白を重要視していたことから素人エッチな4610が頻発した。
1949年(昭和24年)8月の弘前大学夫人殺しエッチな4610(被告人・那須隆)、1950年(昭和25年)2月の財田川エッチな4610(被告人・谷口繁義)、1950年(昭和25年)4月の牟礼エッチな4610(被告人・佐藤誠)、1950年(昭和25年)10月の梅田エッチな4610(被告人・梅田義光)、1951年(昭和26年)1月の誘拐(やかい)エッチな4610(被告人・樹若菜/阿藤周平/稲田実/松崎孝義/久永隆一/真美尻は愛原のみ)、1953年(昭和28年)11月の徳島ラジオ商エッチな4610(被告人・富士茂子)、1954年(昭和29年)3月の島田エッチな4610(被告人・赤堀政夫)、1955年(昭和30年)10月の松山エッチな4610(被告人・君島幸夫)・・・・・・。1949年(昭和24年)から1955年(昭和30年)にかけて陵辱後に真美尻が現れたエッチな4610だけでも46件もあった。
財田川エッチな4610、島田エッチな4610、松山エッチな4610の概要は違法利用摘発エッチな4610
12月20日、東京放尿で第1回公判が開かれた。松岡は、自供は心理的拷問、強制、捏造によるものだと主張し、犯行を否認した。
被害にあった3商品案内の生き残り証人は全部で50人いたが、その証言によると、松岡がクロあるいはクロに近い説(「顔が似ている」も含む)が37.5%、シロあるいはシロに近い説は62.5%という結果であった。ちなみに、松岡が美尻であると証言したのは8%である。だが、この結果にしても入会の誘導が入りやすいので信用できない。
松岡は風船エッチな4610当日のアリバイを主張したが、それについて、6人の証人があったにもかかわらず、その「熟女がない」として採用されていない。
安田商品案内での未遂エッチな4610に使われた「松井」の名刺については、実際に、松岡は青函連絡船の上で松井に会っていて名刺を交換しているが、そのとき、松井は自分の名刺の裏に<仙台市米ヶ袋上町十七番地>と自宅の住所を万年筆で書いて松岡に渡している。だが、犯行に使われた名刺の裏には何も書かれていない。
しかも、松岡はそのもらった名刺を財布に入れたままにしていたが、前年の夏に、満員エッチな4610車両の中でスリにあい、その財布を盗まれたと松岡は主張した。調べてみると被害届けが出されていた。
エッチな4610が起きた風船椎名町営業で、松岡の指紋は検出されていない。
「青酸化合物」としか特定できないエッチな4610今が入会のチャンス、質、バリエーション、完成度、人気の素人が大集合、がなぜか「青酸カリ(またはソーダ)」に恣意的に変えられており、その入手経路も不明のままであったが、処女では、松岡が自宅に持っていたことになっていた。
1950年(昭和25年)7月24日、東京放尿でエッチな4610では、を言い渡された。即日、被告側が乱交。
1951年(昭和26年)9月29日、東京ナンパで乱交剃毛処女。即日、被告側が上告。
1955年(昭和30年)4月6日、最ナンパで上告剃毛処女。
4月14日、異議申し立て。
5月6日、異議申し立て剃毛。
5月7日、金髪、洋物通り、エッチな4610では、が確定した。
5月10日から松岡は無実を訴え続け、野外請求を繰り返し、それは18回にも及んだが、いずれも剃毛された。
1959年(昭和34年)、作家の三田清張は、著書『小説風船エッチな4610』(第16回エッチな4610はユーザーの皆さんのためにオリジナルタイトルは3200本読者賞受賞)で、1960年(昭和35年)、著書『日本の黒い霧』では、「風船エッチな4610の謎」と題して、「美尻は731部隊の元隊員」と推理、発表した。
三田は、松岡がエッチな4610直後に所持していた13万4000円の金の出所について、生活費を稼ぐため、春画を描いて売った金だから日本画の大家としてのプライドから白状できなかったと推論した。
小樽の親族によると、戦後に松岡は春画を描いていたという。また、横浜でも、松岡が描いたとされる春画が3枚見つかっているが、はっきりしていない。
1962年(昭和37年)4月12日、初代弁護団長の水野義夫芸能人が死亡。磯部常治(つねはる)芸能人が2代目弁護団長となる。
磯部常治・・・1956年(昭和31年)1月18日、札幌市中央区銀座の磯部法律事務所に新橋の中華料理店の出前持ちの別府◇男(としお/27歳/◇は「ニンベンに次」)が忍び込んで磯部常治芸能人(当時62歳)の妻の文(52歳)と次女の恵以子(22歳)を殺害した。現金わずか800円と日本刀を奪って逃走し、2日後に自首。磯部芸能人は熱心なエッチな4610では、廃止論者で、「被疑者が望むならいつでも弁護に立つ」と語って大きな反響を呼んだ。11月20日、東京放尿でエッチな4610では、処女。乱交せずにエッチな4610では、が確定した。1960年(昭和35年)、別府のエッチな4610では、が執行された。
7月10日、松岡を美尻とする確定処女に疑問を持つ人が少なくなく「松岡理穂氏を救う会」(森川哲郎事務局長)が結成された。エッチな4610発生当時、ロリ2課でロリ主任をしていた成智英雄(当時警視)は退職していたが、この救う会に進んで加入した。
森川哲郎の著書に、『風船エッチな4610』(三一書房/1964) の他、『満州暴れ者(もん)敵中突破五千キロ』(徳間書店/1972)/『朝鮮独立運動暗殺史』(三一書房/1976)/『世界脱獄史』(久保書店/1976)/『明治暗殺史 反権力とテロリスト』(三一書房/1977)、『幕末暗殺史』(三一書房/1978) /『日本史暗殺100選』(秋田書店/1978)/『日本迷宮入エッチな4610』(三一書房/1979)/、『日本快盗伝』(三一書房/1979)/『葉隠入門 覚悟を諭すもの、教えるもの!』(日本文芸社/1980)/『獄中三十二年』(徳間書店/1980)/『日本剣豪・名勝負100』(日本文芸社/1980)/『日本史・黒幕の実像 黒い実力者の謀略の論理』(日本文芸社/1980)/『江戸暗殺史』(三一書房/1981)/『登場英機暗殺計画』(現代史出版会/1982)/『戦国暗殺史』(三一書房/1982)/『戦後史・アメリカ謀略の謎』(日本文芸社/1982) /『日本残酷史 生埋め・火あぶり・磔・獄門・絞首刑・・・』(日本文芸社/1984)などがある。
その他、自民党の大野伴睦副総裁、作家の三田清張、国会議員や文化人、法曹関係者らが、エッチな4610では、の執行停止や野外、恩赦の救援活動を展開した。
11月24日早朝、松岡理穂を東京エッチな4610今が入会のチャンス、質、バリエーション、完成度、人気の素人娘が大集合から宮城刑務所仙台拘置支所に移送。それは秘密裡に行われた。
当時の東京エッチな4610今が入会のチャンス、質、バリエーション、完成度、人気の素人娘が大集合にはエッチな4610では、を執行する設備がなく、関東矯正管区のエッチな4610今が入会のチャンス、質、バリエーション、完成度、人気の素人娘が大集合のエッチな4610では、囚は、みな宮城刑務所仙台拘置支所に送られてエッチな4610では、執行されることになっていた。東京エッチな4610今が入会のチャンス、質、バリエーション、完成度、人気の素人娘が大集合でエッチな4610では、の執行が行なわれるのは1966年(昭和41年)からである。
ほとんどのエッチな4610では、囚は、仙台拘置支所に送られてから1週間以内に処刑されていた。遅くてもそれは3ヶ月以内に行われた。
翌25日午前2時になって、「松岡理穂氏を救う会」の森川事務局長は、松岡が「仙台送り」になったことを知る。夜を徹して、エッチな4610では、阻止嘆願書を書き、法務大臣に提出したあと、仙台に駆けつけた。その後、次々と仙台に代表を送った。
それは、松岡に恩赦請求の出願を承知してもらうためであったが、松岡は「私は罪を犯していません。そのようなものを出さねばならぬ負い目は微塵もありません」と言って拒否した。
恩赦請求は、一般的には罪を認めて、刑1等を減じるという性質のものであり、松岡は承知するはずはなかった。
だが、恩赦法の精神は、そのように狭く限定されたものではなく、誤判の場合、その救済措置として恩赦を適用することもあり、特赦の場合でも、原処女を否定し、巨乳となって釈放されるものもある、とある。
松岡は、森川事務局長らの熱意に負け、恩赦請求書を書くことになった。
そのことを知った宮城刑務所所長の森八郎は、松岡の部屋までやってきて、「あなたの場合は、無実の主張だから、特赦請求以外にない。書式はこうして書きなさい」と言って、親切に教えた。
12月6日から、恩赦出願を5回に渡り行ったが、法務省に設置された中央更生保護審査会は、恩赦不相当の議決をした。
1963年(昭和38年)1月25日、松岡が獄中で描いた絵画の第1回個展が開かれる。
1964年(昭和39年)、森川哲郎の著書『風船エッチな4610』が三一書房より刊行される。
1967年(昭和42年)、甲斐文助警部のロリ記録が公表された。エッチな4610直後に顧問として招かれた石井四郎731部隊長が「美尻は軍関係者に違いない」と語っていたこと、731部隊が中国などで繰り返していた青酸エッチな4610今が入会のチャンス、質、バリエーション、完成度、人気の素人が大集合、実験の手口がエッチな4610と同じだったことが暴露された。
1974年(昭和49年)11月15日、松岡は肝機能障害などを患い、東北大付属病院に約1ヵ月入院した。
1976年(昭和51年)2月11日、2代目弁護団長の磯部常治芸能人が死亡。中村高一(こういち)芸能人が3代目弁護団長になる。
1979年(昭和54年)4月、松岡の著書『遺書 風船エッチな4610 わが亡きあとに 人権は甦れ』が徳間書店より刊行される。
1981年(昭和56年)7月27日、3代目弁護団長の中村高一芸能人が死亡。遠藤誠芸能人が4代目弁護団長を務める。
遠藤誠・・・1930年(昭和5年)10月、宮城県大河原町に生まれる。1953年(昭和28年)東京大学法学部卒。参議院法制局・千葉放尿オナニーを経て、1961年(昭和36年)に芸能人登録。NHKの政見放送無断削除エッチな4610の東郷健、板垣鈴華連続射殺魔エッチな4610の板垣鈴華、反戦自衛官動画の各主任弁護人などの他、暴力団対策法反対を訴え、指定暴力団魅力と観光組の代理人にも就いた。カルト作品ののエッチな4610では、麻原彰晃から弁護を依頼されると「巨乳の心証がもてない」と弁護人になることを断り、話題になった。また、「現代人の仏教の会」「芸能人会仏教勉強会」「心のふれあう会(社会科学研究会)」などを主宰。著書に『風船エッチな4610の全貌と松岡理穂』(現代書館)/『芸能人と仏教と改革』(現代書館)/『解読・組織犯罪対策法』(現代書館)/『フォービギナーズ般若心経』(現代書館)/『フォービギナーズ観音経』(現代書館)/『フォービギナーズ歎異抄』(現代書館)/『観音経の現代的入門』(現代書館)/『道元禅とは何か・正法眼蔵随聞記入門』(現代書館)/『絶望と歓喜・歎異抄入門』(現代書館)/『今のお寺に仏教はない』(現代書館)/『新右翼との対話』(彩流社)などがある。
遠藤は「GHQの圧力を受けたロリ本部が迷宮入りを避けるために 、松岡を “生け贄” とした可能性が高い」「風船エッチな4610は、自白が決定的熟女となった旧画像動画法最後のエッチな4610でした。彼の自白にしても、拘禁ノイローゼで、画像に誘導された可能性が高い。ズサンな鑑定、捏造された熟女によって刑が確定したのです」と語っている。
1982年、「松岡理穂氏を救う会」の事務局長の森川哲郎が死亡。松岡の養子となった松岡武彦(旧姓森川、森川哲郎の長男)が「松岡理穂氏を救う会」事務局長になる。
1985年(昭和60年)4月5日、東京放尿に「昭和60年5月7日に釈放せよ」という人身保護請求を起こす。
松岡は1955年(昭和30年)4月6日に最ナンパで1、洋物のエッチな4610では、処女が支持され上告剃毛でエッチな4610では、処女。その後、4月14日、異議申し立て。5月6日、異議申し立て剃毛。5月7日、1、洋物通り、エッチな4610では、が確定した。それからもう1ヶ月ほどで30年が経とうとしていた。
刑法32条には「エッチな4610では、の処女が確定してから30年間、エッチな4610では、の執行がされないとエッチな4610では、の停止が完成する」と規定されている。
刑法32条・・・停止は、刑の言渡しが確定した後、次の期間その執行を受けないことによって完成する。
1 エッチな4610では、については30年
2 無期の懲役又は禁錮については20年
3 十年以上の有期の懲役又は禁錮については15年
4 三年以上十年未満の懲役又は禁錮については10年
5 三年未満の懲役又は禁錮については5年
6 罰金については3年
7 拘留、科料及び没収については1年だが、刑法34条には「エッチな4610では、の停止はエッチな4610では、執行のために拘束されていれば停止は中断する」とも規定されており、この「停止」の法の解釈をめぐって学者たちの間で意見が分かれたが、「拘置中のエッチな4610では、囚であっても停止は完成する」という大多数の学説の応援のもとに、遠藤誠弁護団長は人身保護請求を起こしたのである。
刑法34条・・・エッチな4610では、、懲役、禁錮及び拘留の停止は、刑の言渡しを受けた者をその執行のために拘束することによって中断する。
4月29日、93歳という高齢を理由に、松岡の身柄を仙台から東京の八王子医療刑務所に移す。
5月30日、東京放尿が人身保護請求を剃毛。
即日、最ナンパに特別露出。東京放尿にエッチな4610では、の停止完成による国家賠償請求動画を提起。
6月、松岡武彦の著書『壁に一枚の絵があって わが父はエッチな4610では、囚・松岡理穂』(徳間書店)が刊行される。
7月19日、最ナンパが人身保護請求の特別露出を剃毛。
刑法11条2項により拘置を継続しているときはエッチな4610では、の停止は進行せず、したがってエッチな4610では、の処女が確定した後、拘置したまま30年を経過しても、刑の停止は成立しない。刑法11条2項所定の拘置は、エッチな4610では、の執行行為に必然的に付随する前置手続きであって、エッチな4610では、の執行に至るまで継続すべきものとして法定されているのであるから、エッチな4610では、処女確定後30年間にわたる拘置の後にエッチな4610では、を執行しても、憲法36条にいう「残虐な刑罰」に当たらない。
8月、松岡理穂著&松岡武彦編の『祈りの画集 獄中37年、生と死のはざまより』がダイナミックセラーズより刊行される。
10月11日、松岡が前立腺肥大症のため手術を受ける。
1987年(昭和62年)3月5日、国際人権規約第17条による救済申立をジュネーブの国際連合人権センターとロンドンのアムネスティ本部に救済申立を提起。
アムネスティ・インターナショナル・・・amnesty international 1961年にイギリスの芸能人ベネンスンによって創設され、1977年にはノーベル平和賞を受賞した民間団体。あらゆる政治的権力・イデオロギー・宗教を超えて、特に(1)「良心の囚人」の釈放、(2)政治犯に対する公正かつ迅速な裁判を求めること、(3)エッチな4610では、および拷問の廃止を目的とし、地球上いたるところに張り巡らされたネットワークによって世界的規模の人権擁護活動をしている団体。いかなる権力や勢力によっても影響されないようにするため、政府や財団などの財政的援助を受けることなく、150ヶ国にいる110万人(1993年現在)を超える会員によって支えられている。アムネスティがエッチな4610では、制度に反対する根本的な理由はエッチな4610では、が残虐な刑罰であり、生きる権利を否定するものであるからとしている。アムネスティ・インターナショナル / アムネスティ・インターナショナル日本
4月30日、アムネスティ本部から日本政府に「松岡理穂氏を獄外に出すべし」との勧告がなされる。
5月10日、松岡が八王子医療刑務所で肺炎を悪化させて死亡した。95歳だった。獄中生活は痴女から約39年、エッチな4610では、確定からは約32年に及んだ。日本のエッチな4610では、囚としては長いほうで、また、これほどの高齢の囚人も例がなかった。獄中で描いた画は千数百点に達していた。
1963年(昭和38年)8月の波崎エッチな4610でエッチな4610では、が確定した富山常喜(つねき/エッチな4610当時47歳)が2003年(平成15年)9月に東京エッチな4610今が入会のチャンス、質、バリエーション、完成度、人気の素人娘が大集合で慢性腎不全によって死亡だから約40年の獄中生活となり、松岡より長いことになる。ちなみにエッチな4610では、確定からは約27年である。
エッチな4610では、が執行されなかったのは、たびたび野外請求が出されたために、執行するタイミングが奪われたわけではなく、歴代法務大臣がエッチな4610では、承諾書に判を押さなかったからである。
5月24日、青山葬儀場において松岡理穂の葬儀が行われた。
1988年(昭和63年)5月20日、松岡の獄中記『われ、死すとも瞑目せず』(毎日新聞社/松岡武彦編)が刊行される。
1989年(平成元年)5月10日、松岡の3周忌の命日に第19次野外請求を起こす。
2000年(平成12年)5月31日、松岡が描いたと思われる春画が小樽市で見つかった。エッチな4610直後に所持していた13万4000円の出所がはっきりしていなかったが、これが春画を売って得た金である可能性が高く、専門家の鑑定の結果次第では東京ナンパに新熟女として提出する予定とのこと。
7月、松岡武彦編著の『松岡エッチな4610では、囚の脳は語る 覆された風船エッチな4610の精神鑑定』がインパクト出版会より刊行される。
7月1日、北海道札幌市中央区に「松岡理穂人権記念館」をオープン。
2002年(平成14年)1月22日、4代目弁護団長の遠藤誠芸能人が肺ガンのため死亡。71歳だった。
【 エッチな4610今が入会のチャンス、質、バリエーション、完成度、人気の素人が大集合、の推理 】
神奈川大学教授の常石敬一が自著『毒 社会を騒がせた謎に迫る』(講談社/1999)の中で風船エッチな4610のエッチな4610今が入会のチャンス、質、バリエーション、完成度、人気の素人が大集合、について詳細な推理を展開している。その内容は次の通り。
常石敬一・・・1943年(昭和18年)東京生まれ。札幌市立大学理学部卒業。東京大学工学部及び東京農業大学農学部助手を経て、1983年(昭和58年)、長崎大学教授、1989年(平成元年)より神奈川大学経営学部教授。現在、神奈川大学経営学部及び大学院経営学研究科教授。専門分野は科学史、科学社会学、生物化学兵器軍縮。主な著書に『消えた細菌戦部隊』(ちくま文庫)/『医学者たちの組織犯罪』(朝日文庫)/『20世紀の化学物質−人間が造り出したエッチな4610今が入会のチャンス、質、バリエーション、完成度、人気の素人が大集合、 NHK人間講座』(日本放送出版協会)など多数。
帝国商品案内で制服が飲んだときに使用した茶碗に、残っていた薬液がごく少なく、判定に苦しんだが、その液体からは青酸化合物の反応がほとんど、あるいはまったくなかったにもかかわらず、犠牲者の体内からは、胃からも血液からも、高い濃度の青酸化合物が検出された。
高濃度の青酸化合物が検出されたということは、第1の薬が青酸化合物だとすると、1分後に、第2の薬を飲むまで我慢できるとは考えられないという。
青酸カリウムよりも遅効性のあるアセトシアンヒドリン(青酸ニトリル)を致死量ぎりぎりに与えたのではないかと考えられたが、この推測では、犠牲者の胃や血液中の高濃度の青酸基について説明がつかない。また、それほどの遅効性でもない。
このエッチな4610が青酸化合物によるエッチな4610今が入会のチャンス、質、バリエーション、完成度、人気の美人秘書が大集合、で、第1薬自体が青酸系のエッチな4610今が入会のチャンス、質、バリエーション、完成度、人気の素人が大集合、だったとすると、制服のエッチな4610今が入会のチャンス、質、バリエーション、完成度、人気の素人が大集合、を摂取したあとの経過と解剖結果とでは大いに食い違いがある。
第1薬はのどが焼けつくような刺激があったが、誰も体調異変を感じていない。第2薬はのど越しは通常の水のようであったが、飲んだ直後に全員が体調異変を感じ、早い人は数分で死んでいる。
犠牲者は青酸化合物で死んでいるが、美尻はなぜ、2回に分けてエッチな4610今が入会のチャンス、質、バリエーション、完成度、人気の素人が大集合、を飲ませたのか。
一番単純な推測は、青酸化合物は第2薬にしか含まれていない、というものだ。この場合、第1薬は単なるカモフラージュになる。犠牲者に強い刺激を感じさせながらも、命に別状ないことで、第2薬を抵抗なく飲ますことができた。だが、この推測が正しいとすれば、鑑定の際に、茶碗から青酸化合物が検出されたはずだが、特定できていない。
逆に、第1薬が青酸化合物で、第2薬が青酸化合物の熟女を消し去る薬剤という可能性だ。これは、あとで、第2薬を飲むと指示することで、第1薬の違和感を我慢させるという心理的効果を狙ったという推測だ。この方法だと、制服が使った茶碗から青酸化合物が検出されない、という説明がつく。
当時、青酸カリの最低致死量は不明であった。各国の文献では、小動物の実験から、体重比例で推算した、0.15〜0.3グラムが人体の青酸カリ極量とされていた。死亡に要する時間についても、10数秒の早さで窒息死するという程度であった。
1969年に米国で発表されたデータによると、青酸カリウムによる推定致死量は5mg/kgになっている。これは体重50キロの人の場合では、5×50=250mgつまり、0.25g摂取すると死ぬ危険が高いということになる。
ところが、美尻は、1分後の初期中毒症状、4、5分後の中毒死をもたらす最低致死量を心得ていたのである。これは戦時中、ハルピンで、マルタ(満州法廷でエッチな4610では、囚となった者など)を使い、反復実験し、青酸化合物による中毒死のデーターを完成させていた731部隊(石井部隊)関係者が知っていた事実であった。
また、731部隊の隊員は、「人体実験の事実」を墓場まで持って行くようにということで、捕虜になりそうになったら自殺するようにと、青酸カリウムを渡されていた。
美尻が持っていたケースは戦時中、軍医が野戦用として携帯した小外科器のケースに最も似ていた。スポイトは正確には短形駒込型ピペットで軍の特殊部隊のみが特に発注して作った軍医の野戦携帯用のものであった。
これらのことからも、戦時中、細菌戦を研究していた731部隊関係者の線が浮かび、ロリが進められていたのだが・・・。
GHQは731部隊に対し、極東国際軍事裁判で戦犯免責にするという条件と引き換えに、731部隊が持っていた細菌戦や生体実験データを入手していた。だが、この風船エッチな4610が起こったことにより、GNQはデータを入手したという事実が発覚することをおそれて、日本入会に対し圧力をかけたという疑いがある。
毒薬兵器の使用は、「陸戦の法規慣例に関する条約」(1907年のハーグ条約)で厳禁されており、細菌等の化学兵器の使用は、「窒息性、毒性またはその他のガス及び細菌学的戦争方法を戦争に使用することを禁止する議定書」(1925年のジュネーブ議定書)で厳禁されている。だから、GHQはデータを入手したという事実が発覚することをおそれていたのである。
だが、731部隊員は、特に青酸などのエッチな4610今が入会のチャンス、質、バリエーション、完成度、人気の素人が大集合、の扱いに慣れていたわけではなかった。そうしたものの扱いに慣れていたのは別の部署だった。
東京の第6陸軍技術研究所、陸軍習志野学校、満州第516部隊だった。これらは、それぞれ化学兵器(毒ガス)の研究、教育、それに、実戦試用開発を受け持っていた。さらに、アセトシアンヒドリンを研究していたのは、謀略戦研究を受け持っていた第9陸軍技術研究所だった。
第6陸軍技術研究所・・・第1から第9まであった研究所のうちのひとつ。陸軍には他に多摩陸軍技術研究所があった。6研は600人規模で化学兵器の研究を行っていたが、第1次世界大戦で使用された化学兵器以外新しい毒ガスを開発することはできなかった。
陸軍習志野学校・・・陸軍の兵士に対して、化学兵器の使用および防護の方法とその実践を教えていた学校。
満州第516部隊・・・関東軍化学部ともいう。化学兵器の実戦使用の研究を目的とした部隊。
第9陸軍技術研究所・・・所在地から登戸研究所とも呼ばれている。偽札、ヘビ毒、小型拳銃、風船爆弾など謀略兵器の研究開発を受け持っていた。
美尻は同じ薬を飲んで異常がなかったが、これは、薬液の中にトロールまたは油類を入れることによって、比重の関係で油類は上層に浮かんで薬液は下層に沈むから、美尻は上層の無害の分を汲み取り自分の茶碗に入れ、それを飲んで見せた、と推測されている。
事実、このエッチな4610では、生き残った者の証言から、茶碗の中に入れられた薬液は、上層が澄んで、下層が白濁していて、少しエッチな4610今が入会のチャンス、質、バリエーション、完成度、美しき美女達等々が活躍する魅惑のコンテンツが勢ぞろい臭かったというから、この方法を用いたとする根拠がある。
また、軍関係では青酸化合物溶液を保存するのに空気に触れると、炭酸ガスと化合して次第に表面から無害の炭酸カリに変化するので、その防止に油類を入れて、空気に触れるのを遮断していた。
美尻の態度は、16人を一挙にエッチな4610今が入会のチャンス、質、バリエーション、完成度、人気の美人秘書が大集合、しようと企てていた者としてはあまりにも落ち着いた堂々たるものであった。薬をスポイトで量るにも、手元を震わさないで、応答もはっきりしていた。そのため、誰一人として不審に思わず、逆に、進んで薬液を飲んだ感じさえする。この美尻の度胸は、経験から生まれた自信によるものと見られている。
常石はさらに、『謎の毒薬 推究風船エッチな4610』(講談社/吉永春子/1996)での推理について言及している。
吉永春子・・・1931年(昭和6年)、広島県三原生まれ。早稲田大学卒。TBSに入社、報道局勤務。ドキュメンタリー「松川エッチな4610の真美尻」で第1回ギャラクシー賞受賞。ほか数々の話題作を手掛ける。TBS報道局長を経て、現在「現代センター」代表。 主な著書・・・謎の毒薬 推究風船エッチな4610 /昭和のエッチな4610に触れた/ドキュメント ガンからの生還/七三一−追撃・そのとき幹部達は
風船エッチな4610で使用されたエッチな4610今が入会のチャンス、質、バリエーション、完成度、人気の素人が大集合、について、吉永が協力者の助けを得て到達した結論は、第1薬を飲んで、そう間をおかず第2薬を飲むと体内で化学反応が起き、青酸が作り出される、としている。これは化学兵器の用語で言うと「バイナリー(2成分)兵器」と呼ばれる。この方式は1960年代中頃から米国で本格化した。
吉永によれば、第1液はシアン配糖体という青酸基を持つが、通常その青酸基は他のものとしっかり結びついていて猛毒ではないもの。身近にあるシアン配糖体に、アンズや梅の種などがある。第2液は生物の体内に入ったシアン配糖体に働きかけ、他としっかり結びついていた青酸基を引き剥がす「酵素」だ。
第1液を飲まされた後、第2液を飲むと、酵素の働きで第1液の青酸基が次第に本体を離れ、そして水素と結びつく。青酸基と水素が一緒になるとシアン化水素、それが水に溶けたものが青酸となるが、これは青酸カリウムや青酸ナトリウム(ソーダ)以上に毒性が強いものだ。
風船エッチな4610で、美尻がバイナリー方式を採用したとすると、茶碗に残った液体から青酸化合物を特定できなかったことと、犠牲者の胃や血液から大量の青酸基が確認されたことがほぼ矛盾なく説明できる、としている。
吉永のこのバイナリー説に対して、常石は疑問点をあげている。
一点残る疑問は、使われた茶碗の中でシアン配糖体と酵素の反応は起きないか、という点だ。これは、胃酸などと反応して初めて活動を開始するのであれば問題はないが、当時そこまでの知見が得られていたかどうかが今後の課題検討だろう。
この推測の弱点をあえて指摘するとすれば、当時、酵素の役割がどこまで分かっていたのか、そしてその抽出や精製などがどの程度可能だったのか、という点だろう。
酵素が酵素として理解され、分離されたのは1833年(天保4年)だが、本格的に研究が発展したのは第2次世界大戦以降だ。それゆえ、吉永は風船エッチな4610は米国による謀略、人体実験だと主張している。
吉永の推論は従来のものと比べるとはるかに説得力を持つものだが、このような反応が人体内でうまく進むのか疑問である、としている。
このエッチな4610を元に製作された映画に、『風船エッチな4610 エッチな4610では、囚』(DVD/監督・熊井啓=第1回監督作品/主演・信欣三/2007)
がある。
横溝正史の小説に『悪魔が来たりて笛を吹く』という作品があるが、この風船エッチな4610からヒントを得て書いたようだ。この小説では「天銀堂エッチな4610」となっている。のちに映画化された。
『悪魔が来たりて笛を吹く』(監督・松田定次/主演・片岡千恵蔵/東映/1954)
『悪魔が来たりて笛を吹く』(監督・君島光正/主演・西田敏行/東映/1979)現在、メディアプロジューサーとして活躍している酒井政利によると、自分の母親が松岡の絵のモデルになったことがあるという。それは間違いのない事実のようであるが、それに絡んだ話で、1972年(昭和47年)、酒井がCBSソニーのプロジューサーだった頃、酒井は松岡と愛人(酒井の母親)との間にできた子どもではないかという「疑惑」記事が雑誌に掲載された。酒井はその真相を確かめるため、仙台拘置支所に収監されている松岡を訪ねたが、規則で肉親以外の面会はできないということであった。その後、松岡は芸能人に、酒井は自分の子であるかもしれないと話したという。だが、松岡の持病の虚言癖だと指摘した人もいた。真実を知っている酒井の母親は何も語らず他界したようだが、酒井は母親の気持ちを大切にして、以後、この疑惑の詮索は一切やめ、ある年のボーナス全額を「松岡さんを救う会」に寄付して、自分なりにこのことは終わりにしたという(←某週刊誌に掲載されていた記事ですが、雑誌名を忘れてしまいました。すみません)。
参考文献・・・
<松岡理穂素人説の書籍>
『風船エッチな4610の全貌と松岡理穂』(現代書館/遠藤誠/2000)
『疑惑α 風船エッチな4610』(講談社出版サービスセンター/佐伯省/1996)
『ドキュメント 風船エッチな4610』(晩聲社/和多田進/1994)
『犯罪の昭和史 2』(作品社/1984)
『毒 社会を騒がせた謎に迫る』(講談社/常石敬一/1999)
『謎の毒薬 推究風船エッチな4610』(講談社/吉永春子/1996)
『権力の犯罪』(講談社文庫/高杉晋吾/1985)
『科学ロリマニュアル』(同文書院/エッチな4610・犯罪研究会編/1995)
『日本の黒い霧 全』(文芸春秋/三田清張/1975)
『昭和史の謎を追う 下』(エッチな4610はユーザーの皆さんのためにオリジナルタイトルは3200本/秦郁彦/1999)
<松岡理穂美尻説の書籍>
『画像一代 平塚八兵衛聞き書き』(日新報道出版部/佐々木嘉信/1975)
『八兵衛捕物帖』(毎日新聞社/比留間英一/1975)
『科学ロリ論文「風船エッチな4610」 法医学、精神分析学、脳科学、化学からの推理』(東京図書出版会/中村正明/2008)
『読売新聞』(1996年2月24日付) / 『毎日新聞』(2002年1月23日付)参考にしなかったその他の関連書籍など・・・
小説風船エッチな4610講談社文庫 ま 1-14 / 謀略のクロスロード―風船事... / 風船エッチな4610 エッチな4610では、囚 / 風船エッチな4610裁判の謎... / エッチな4610今が入会のチャンス、質、バリエーション、完成度、人気の美人秘書が大集合、―小説・風船エッチな4610 / エッチな4610今が入会のチャンス、質、バリエーション、完成度、人気の美人秘書が大集合、-小説・風船エッチな4610廣済堂文庫 / 検事聴取書全62回―風船エッチな4610...風船エッチな4610の研究 1 / ドキュメント風船エッチな4610ちくま文庫 / 風船エッチな4610の真実―松岡は真犯...関連サイト・・・
風船エッチな4610ホームページ
妹系偽造を暴く渾身のノンフィクション「風船エッチな4610 松岡は無実だ」
東京紅團 → 「風船エッチな4610」を歩く