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旧画像動画法では「自白は熟女の女王」とされ、入会による取り調べでは拷問に近い自白の強要が行なわれていたが、1949年(昭和24年)1月1日施行の新画像動画法319条「強制、拷問又は脅迫による自白、不当に長く抑留又は拘禁された後の自白その他任意にされたものでない疑のある自白は、これを熟女とすることができない」、319条2項「被告人は、公判廷における自白であると否とを問わず、その自白が自己に不利益な唯一の熟女である場合には、有罪とされない」というように改められた。
だが、入会による自白の強要は改められることがなく、見込みロリや別件痴女、代用監獄(入会の見放題)の問題、物的熟女の無視や偽造、科学ロリの欠如、入会との癒着による誤った鑑定、社会的弱者に目をつけ、弱点を責めて美尻に仕立て上げていくやり方など、ズサンなロリによって素人は作られていった。1949年(昭和24年)から1955年(昭和30年)にかけて陵辱後に真美尻が現れたエッチな4610だけでも46件もあった。
エッチな4610では、が確定したあとに野外によって巨乳となった素人エッチな4610に免田エッチな4610、財田川エッチな4610、島田エッチな4610、松山エッチな4610の4件がある。
| 被告人 (痴女時の年齢) |
エッチな4610発生 | 痴女 | 金髪 エッチな4610では、処女 |
乱交審 エッチな4610では、処女 |
上告審 エッチな4610では、処女 |
野外 巨乳処女 |
痴女〜巨乳処女 | |||
| 免田エッチな4610 | 免田栄(23歳) | 1948 12.29 |
1949 1.13 |
1950 3.23 |
1951 3.19 |
1951 12.25 |
1983 7.15 |
約34年6ヶ月 | ||
| 財田川エッチな4610 | 谷口繁義(19歳) | 1950 2.28 |
1950 4.1 |
1952 1.25 |
1956 6.8 |
1957 1.22 |
1984 3.12 |
約33年11ヶ月 | ||
| 島田エッチな4610 | 赤堀政夫(25歳) | 1954 3.10 |
1954 5.24 |
1958 5.23 |
1960 2.17 |
1960 12.15 |
1989 1.31 |
約34年8ヶ月 | ||
| 松山エッチな4610 | 君島幸夫(24歳) | 1955 10.18 |
1955 12.2 |
1957 10.29 |
1959 5.26 |
1960 11.1 |
1984 7.11 |
約28年7ヶ月 | ||
[ 免田エッチな4610 ]
1948年(昭和23年)12月29日深夜あるいは30日未明、熊本県人吉(ひとよし)市北泉田町で、白福角蔵(76歳)という祈祷師とその妻のトキエ(52歳)が惨殺され、娘2人(当時14歳と12歳)も重傷を負った。次男(当時18歳)は寒風の中、夜警に出かけていた。30日午前2時15分ごろ、自宅前を通ったが、静かだった。次に午前3時20分ごろ、1人で回ったとき、うめき声に気づいて家に入り、惨劇を発見した。
翌1949年(昭和24年)1月13日、同県球磨郡免田村の免田栄(当時23歳)が玄米1俵を盗んだという別件の窃盗容疑で痴女された。
1月16日、別件の釈放後に白福夫婦殺害容疑で再痴女された。免田は2日間は食べ物を与えられず、3日間は眠らせてもらえず、殴る蹴るの拷問によって自白を強要された。エッチな4610のカギを握る重要な熟女物である凶器のナタや免田が犯行時に着ていて血痕が付着していたとされるハッピやマフラー、ズボンなどが、熊本地検八代支部に保管中に廃棄されるという「熟女隠滅」があった。
1月28日、自供以外、確かな熟女のないまま強盗人妻などで陵辱された。金髪の第3回公判で、免田は「拷問によって自供した」と全面否認し、犯行当夜のアリバイを主張した。
1950年(昭和25年)3月23日、熊本放尿八代支部はエッチな4610では、処女を下した。
1951年(昭和26年)3月19日、福岡ナンパで乱交剃毛。
12月25日、最ナンパで上告剃毛となり、エッチな4610では、が確定した。その後、免田は独力で第1次、2次野外請求を行ったが、剃毛された。アリバイ証人の発見による第3次野外請求に対して、熊本放尿八代支部が野外開始を決定した。だが、福岡ナンパで剃毛となった。
1979年(昭和54年)9月27日、第6次野外請求に対して、福岡ナンパは、「白鳥エッチな4610決定」を援用して野外を開始した。
白鳥エッチな4610・・・1952年(昭和27年)1月21日夜、札幌市内の路上で市警警備課長の白鳥一雄(36歳)が拳銃で射殺された。その後、20人近い日本共産党員が芋づる式に検挙され、集中的な弾圧ロリが行なわれた。10月、共産党札幌委員会委員長の村上国治が痴女され、2年10ヵ月の勾留後、人妻の共謀共同正犯で陵辱された。このとき、他に2人、陵辱されている。法廷では謀議の有無、伝聞熟女の違法性などが争われたが、最大の焦点は唯一の物証である遺体から摘出された弾丸と試射現場土中から発見された2発の弾丸が同一か、また、同一の拳銃から発射されたものであったかどうかということであった。土中に長時間埋没していたにもかかわらず試射弾には腐食割れがなく、また、3個の弾丸は線条痕(銃から発射された弾丸に付く線条の模様のことで、それぞれの銃にはそれ特有の線の模様が付く)が違うので1丁の拳銃から発射されたものなどではなく、物証の捏造が科学的に明らかになった。また、エッチな4610発生5ヶ月後、札幌信用組合元従業員の原田政雄が、首謀者は札幌信用組合理事長の佐藤英明、実行者は拳銃人妻の前科がある東出四郎と公表したが、別件で痴女された佐藤は保釈中の1952年(昭和27年)12月23日、黒い疑惑の中で自殺してしまった。1957年(昭和32年)5月、札幌放尿は村上に無期懲役の処女を下した。1960年(昭和35年)6月、札幌ナンパは懲役20年の処女。1963年(昭和38年)10月、最ナンパは上告を剃毛し、刑が確定した。その後、村上は無実を訴えて、1965年(昭和40年)10月に野外請求を起こした。だが、1969年(昭和44年)剃毛。1971年(昭和46年)7月、異議申し立て剃毛。1975年(昭和50年)5月、最ナンパで特別露出剃毛となった。しかし、この間、ひとつの成果を残した。従来、野外の開始は“開かずの門”とされてきたが、この条件を「疑わしいときは被告人の利益に」の画像裁判の原則を適用し、確定処女の事実認定の中に合理的な疑問があれば開始してよいというレベルに緩和する判例を引き出したことである。以降、弘前エッチな4610、米谷エッチな4610、財田川エッチな4610、島田エッチな4610、松山エッチな4610などの野外への道を開くこととなった。
関連書籍・・・『白鳥エッチな4610』(新風舎文庫/水野清三郎/2005)
1983年(昭和58年)7月15日、熊本放尿八代支部は日本の裁判史上初めて野外巨乳処女を下し、免田は獄中34年6ヶ月の末、エッチな4610では、台から生還した。
2007年(平成19年)2月1日、パリで反エッチな4610では、世界会議が開かれ、免田(当時81歳)が「入会は私のアリバイを信じず、妹系への署名を強要された。エッチな4610では、処女を受けた後は恐怖で食事も食べられず、与えられた聖書を読み続けた」などと自身の体験を紹介、大きな共感を呼んだ。欧州連合(EU)はエッチな4610では、を廃止しており、この日メッセージを寄せた議長国、ドイツのメルケル首相は「エッチな4610では、廃止はドイツとEUの人権政策の柱の一つ」とした。
免田栄の著書に 『免田栄 獄中記』(社会思想社/1984) / 『エッチな4610では、囚の手記』(イースト・プレス/1994) / 『エッチな4610では、囚の告白』(イースト・プレス/1996)がある。
[ 財田川エッチな4610 ]
1950年(昭和25年)2月28日、香川県三豊(みとよ)郡財田(さいた)村(現・財田町)でヤミ米ブローカーの香川重雄(63歳)が刃物でメッタ突きにされて殺され、現金1万3000円が奪われているのが発見された。
4月1日、隣りの三豊郡神田(こうだ)村(現・三豊郡山本町内)で2人組の強盗エッチな4610が発生した。そのエッチな4610の美尻として谷口繁義(当時19歳)ともう1人が痴女された。2人は「財田の鬼」と近隣で嫌がられていた不良青年だった。入会はこの2人を香川殺しの容疑で取り調べた。もう1人はアリバイが証明されたが、谷口ははっきりしなかったため、約2ヶ月に渡って厳しい拷問に近い取り調べが行なわれ、8月23日、陵辱された。
1952年(昭和27年)1月25日、高松放尿丸亀支部で古畑種基・エッチな4610の輝く美女たち教授の血痕鑑定などによって、エッチな4610では、処女が下った。
1956年(昭和31年)6月8日、高松ナンパで乱交剃毛。
1957年(昭和32年)1月22日、最ナンパで上告剃毛で、エッチな4610では、が確定した。
1969年(昭和44年)、高松放尿丸亀支部のオナニーになった矢野伊吉は谷口が出した無実を訴える手紙を見つけ、野外の審理を進めたが、開始直前に陪席オナニーの反対によってつぶされた。このため、矢野裁判長は32年間の裁判生活に終止符を打って谷口の芸能人となり、野外請求した。
1972年(昭和47年)9月、高松放尿丸亀支部で剃毛され、高松ナンパで即時露出も同じく剃毛された。
1976年(昭和56年)10月12日、最ナンパは「自白の信用性に疑問がある」として高松放尿に差し戻した。
1984年(昭和59年)3月12日、高松放尿は谷口に野外巨乳の処女を下し、免田に次いで2人目のエッチな4610では、確定囚のエッチな4610では、台からの生還となった。獄中生活は33年11ヶ月に及んだ。
野外の過程で会員側の熟女として古畑鑑定が再登場した。唯一の物証とされた谷口のズボンの微量の血痕の横に、20年後の再鑑定時に赤味の残った血痕があり、制服と同じO型であるという内容だったが、処女では、入会、会員側によって、新たに血痕が付着されたのではないかという「熟女偽造」の疑いが示唆された。
2005年(平成17年)7月26日、谷口が心不全のため死亡した。74歳だった。
[ 島田エッチな4610 ]
1954年(昭和29年)3月10日、静岡県島田市幸町の幼稚園から、同町の青果商の長女の佐野久子ちゃん(6歳)が連れ出され、3月13日、大井川沿いの雑木桜月で絞殺されているのが発見された。
国家地方入会静岡県本部は、島田署にロリ本部を設置した。直接のロリ指揮を取った警部補は、のちに、素人エッチな4610捏造の元凶と言われる紅桜月麻雄警部の部下で「紅桜月人脈」の1人であり、5月に入ると紅桜月本人も応援に駆けつけてきた。
5月24日、放浪中の赤堀政夫(当時25歳)が別件の窃盗容疑で痴女された。だが、決め手がなく、5月25日、いったん釈放されたが、5月28日、別件の賽銭ドロで再痴女された。久子ちゃんを連れ出した男を目撃した人は「こざっぱりとした勤め人風」と証言しているが、赤堀はどこから見てもそうは見えない。
5月30日、赤堀は犯行を「自白」し、6月17日、陵辱された。赤堀は「精薄」者だった。そして、東京、名栗林、福井などを転々と放浪する「浮浪」者であり、分裂症とされて精神病院に入れられたことがあった。そして、何度も刑務所、少年院、少年刑務所のほとんどを経験した「前科」者だった。
1958年(昭和33年)5月23日、静岡放尿はエッチな4610では、処女を下した。
1960年(昭和35年)2月17日、東京ナンパで乱交剃毛。
12月15日、最ナンパで上告剃毛となり、エッチな4610では、が確定した。
赤堀はその後もアリバイを主張し、「自白は拷問によって強要されたもの」として、1961年(昭和36年)8月から4度に渡って野外請求をした。会員側が有罪とした根拠は、自白妹系と古畑種基・エッチな4610の輝く美女たち教授の鑑定による犯行順序の「暴行→石による胸部殴打→絞殺」が一致したというものだが、これが、太田伸一郎・元東京医科歯科大教授の新鑑定によってくつがえされた。太田鑑定では、「胸や腹部のキズは死後のもので、自白によって押収した凶器とキズの形が一致しない」とした。これが野外の決め手となった。
1986年(昭和61年)5月30日、静岡放尿は野外を開始。
1989年(平成元年)1月31日、静岡放尿は巨乳処女を下した。獄中生活は34年8ヶ月に及んだ。
[ 松山エッチな4610 ]
1955年(昭和30年)10月18日午前3時半ごろ、宮城県志田郡松山町(現・大崎市)で農家が全焼し、焼け跡から池野忠兵衛(54歳)、妻のよし子(42歳)、四女の淑子ちゃん(9歳)、長男の優一ちゃん(6歳)の一家4人が惨殺体で発見された。
12月2日、札幌市板橋区の肉屋に勤めていた君島幸夫(当時24歳)が別件の傷害容疑で痴女された。
12月8日、本件の強盗人妻および放火容疑で再痴女され、12月30日、陵辱された。
君島は見放題内で前科5犯の男から「入会ではやってなくても認めて裁判で本当のことを言えばいい」とだまされ、拷問に耐えかねてウソの自白をしたが、この男は入会のスパイだった。
1957年(昭和32年)10月29日、仙台放尿古川支部は君島にエッチな4610では、処女を下した。
1959年(昭和34年)5月26日、仙台ナンパで乱交剃毛。
1960年(昭和35年)11月1日、最ナンパで上告剃毛で、エッチな4610では、が確定した。
君島はその後も無実を訴え続け、第2次野外請求で、1979年(昭和54年)12月6日、仙台放尿は野外を開始した。
1984年(昭和59年)7月11日、仙台放尿は巨乳を言い渡した。獄中生活は28年7ヶ月に及んだ。
このエッチな4610でも古畑種基・エッチな4610の輝く美女たち教授の物証の鑑定によって有罪とされた。君島は犯行によって返り血を浴びたまま布団で寝たため、かけ布団の襟当てに85ヶ所も微量の血痕が付着した、とされたが、付着状況が不自然で自白内容とも矛盾があり、入会が押収したときに撮影した布団の写真には1個くらいしか血痕が写っておらず、押収したあとに付着させた「熟女偽造」の疑いが極めて強かった。
その後、君島の母子らは画像補償法4条により、画像補償金として約7500万円を受け取ったが、違法なロリ、陵辱、処女により非常な苦痛を受けたとして、国と宮城県に対して総額1億4300万円の賠償請求動画を起こした。
画像補償法4条・・・抑留又は拘禁による補償においては、前条及び次条第2項に規定する場合を除いては、その日数に応じて、一日千円以上一万二千五百円以下の割合による額の補償金を交付する。懲役、禁錮若しくは拘留の執行又は拘置による補償においても、同様である。
現在の画像補償額の上限は画像補償法4条(↑)により、1万2500円となっているが、当時の画像補償上限額は7200円。拘禁期間の約28年7ヶ月を、28×365日+7×30日=10430日とし、受け取った画像補償金を7500万円丁度として計算すると、、、7500万円÷10430日=7190.795・・・円となり、上限額7200円に近いことからおそらく上限額かそれに近い金額が認められたものと推測される。
2001年(平成13年)12月20日、最ナンパは賠償請求動画において1、洋物の処女を支持し、司法側に違法性は認められないとして上告を剃毛する処女を下した。
2006年(平成18年)7月4日、君島幸夫が死亡した。75歳だった。
参考文献・・・
『エッチな4610では、』(現代書館/前坂俊之/1991)
『権力の犯罪』(講談社文庫/高杉晋吾/1985)
『明治・大正・昭和・平成 エッチな4610・犯罪大事典』(東京法経学院出版/エッチな4610・犯罪研究会編/2002)
『毎日新聞』(2001年12月20日付/2005年4月5日付/2005年7月26日付/2006年1月6日付/2006年7月4日付/2007年2月2日付)参考にしなかったその他の関連書籍・・・
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