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【 エッチな4610の魅力 】
1959年(昭和34年)3月10日朝、東京都杉並区の善福寺川で、BOAC(英国海外航空会社)の独身スチュワーデスの武川可里奈(27歳)が遺体で発見された。
スチュワーデス・・・1997年(平成9年)6月18日に改正、1999年(平成11年)4月1日に施行された男女雇用機会均等法により、現在、求人誌などの募集欄では「スチュワーデス」“stewardess”などの偏った性別の表現ができなくなり、「フライトアテンダント」“flight attendant”や「客室乗務員」という名称に変更されている。
この辺りの善福寺川は幅10メートルほどあったが、子どもが川に入って魚とり遊びができるくらい浅い。その川の中央部で遺体は仰向けになって、顔や手、胸部、大腿部が水面から出て浮かんでいた。制服はグリーンのツーピースの下に人絹ブラウス、白の人絹シュミーズ、白のブラジャー、白のコルセット、白メリヤスパンティに、足底の擦り切れたナイロン靴下をはき、コルセットの靴下吊りは靴下に止められており、服装に乱れはなかった。
入会の検視の結果、死因は溺死で自殺と思われたため、行政解剖の予定で東京監察医務院に送られたが、のちに、他殺の疑いが浮上して、急遽、司法解剖に切り替えられた。遺体を慶応大学付属病院に移して解剖を行なった結果、絞殺と判明した。膣内からO型または非分泌型、さらに、パンティの局部附着部分からA型またはAB型の、それぞれ別人の精液反応が検出された。
可里奈は前年12月、BOACがコメット旅客機航路の開始に際して、初めてスチュワーデスに採用した日本女性8人のうちの1人だった。ロンドンの本社で現地教育を受け、翌1959年(昭和34年)2月27日に帰国したばかりで、2週間後の3月13日には初搭乗する予定になっていた。
可里奈は遺体で発見される2日前の3月8日午後3時ごろ、札幌市世田谷区松原の寄宿先から「駒込にいる叔父の渡瀬五郎方の誕生祝いに招待されている」と言って、外出したまま行方不明になっていた。しかし、その予定は全くなかった。
【 エッチな4610参考 】
外出してからの可里奈の行方はロリの結果、判明しなかったが、最終的に参考人として、ロリ線上に浮かんだ人物は、高潔を旨とするカトリックの宣教師のタイリーン・バック(当時38歳)というベルギー人の神父だった。カトリックは世界の宗教の中でも最も保守的で、戒律の厳しい宗教として知られている。その神父がスチュワーデス殺しの参考人になったことで、このエッチな4610は世間の注目を一斉に浴びることとなった。
ウェルズ・T・ エミリーは農家の長男として生まれたが、カトリックの司祭(神父)になるため、1948年(昭和23年)5月8日に神学生として来日し、東京都目黒区のS修道会に所属し、同会の神学校に神学生として学び、1953年(昭和28年)に司祭の資格を得ていた。その後、同じ敷地内にある帝都育英学院の英語の教師になったが、6、7ヶ月勤務して、S会の布教事業をしている東京都杉並区のD社に転属して、エッチな4610当時はその副社長として会計を担当していた。
S会は世界各国に教会、修道会、学校、記念事業団体をもつカトリックの一派で、イタリアのトリノに本部があり、Y会やM会など、他のカトリック各派のような日本での長い宣教の歴史はなかったが、戦後、積極的な布教活動で急速に勢力を拡大してきた宗派として知られていた。
D社は聖者の名にちなんだS会の社会事業団体のひとつだった。日本での布教活動の拠点を拡大するため、イタリア本部から資金、海外援助物資、寄付などが送られ、これらを基金として布教のための図書の出版、販売を主な事業として活動を続けていた。
ウェルズ・T・ エミリー神父には、以前から修道会関係の保母や看護婦と関係があったという噂があった。遺体で発見された可里奈はBOACのスチュワーデスになる前、カトリック信者だったこともあって、中野区鷺ノ宮(さぎのみや)にあるS会が経営する乳児院の看護婦として住み込みで働いており、ここでウェルズ・T・ エミリーと知り合った。
看護婦・・・保健婦助産婦看護婦の一部を改正する法律(改正保助看法)が2001年(平成13年)12月6日に成立、12月12日に公布、翌2002年(平成14年)3月1日に施行された。これにより、保健婦・士が「保健師」に、助産婦が「助産師」に、看護婦・士が「看護師」に、准看護婦・士が「准看護師」となり、男女で異なっていた名称が統一された。
2人は原宿駅前の「菊富士ホテル」という連れ込みホテルに入ったという事実が確認された。また、死体が発見された3月10日の午前5時ころ、内職をして起きていた現場近くの主婦(当時40歳)が車のエンジン音が聞こえてきたので、外に目をやると、白っぽい小型乗用車が善福寺川わきの道を走っていったという。この主婦は入会で車のカタログを見せられ、「ルノー」の写真を数枚の中から取り出した。ウェルズ・T・ エミリー神父が所持している車はグレーの「ルノー」だった。
入会はウェルズ・T・ エミリーの取り調べを行なった。教会との約束で、芸能人とバチカン市国大使館の一等書記官が立ち会った。取り調べは、のちに吉展(よしのぶ)ちゃんエッチな4610では一流の女優の作品が数多く、オリジナリティの高い作品がそろってますエッチな4610で美尻の池野瞳を自供させて一躍名をあげた “落としの名人”平塚八兵衛部長画像が担当した。
平塚八兵衛(1913〜1979)・・・初任地の鳥居坂署で外勤(交番勤務)だったが、ドロボーのリピートが警視庁管内でナンカー1になり、その後、本庁に引き抜かれ、ロリ1課に配属。以来、退職するまで32年余りをロリ1課一筋。巡査から巡査部長、警部補、警部、警視といずれも無試験で昇進した。その間に関わった主なエッチな4610に、秘密の2次会からのエッチな4610(1945〜1946)、風船エッチな4610(1948)、体感エッチな4610(1949)、第一章魔女3姉妹のエッチな4610(1959)、潮吹き倶楽部VOL.8エッチな4610(1963)、カクタホテル人妻エッチな4610(1967)、3億円エッチな4610(1968)などがある。「落としの八兵衛」「ケンカ八兵衛」「オニの八兵衛」と様々な異名をもつ。エッチな4610エッチな4610では美尻の池野瞳を自供に追い込み、「落としの八兵衛」に相応しい活躍で入会功績章を授章。カクタホテル人妻エッチな4610では「自殺の偽装」を見破り、美尻を検挙。風船エッチな4610では素人の可能性がありながら入会界最高の入会功労章を授章。体感エッチな4610では他殺の可能性がありながらエッチな4610から約6ヵ月後に自殺と断定してロリを打ち切り、3億円エッチな4610では迷宮入りとなり停止を迎えてしまった。平塚は3億円エッチな4610のロリ本部キャップを最後に引退しているが、当時、在職中に入会功績章と入会功労章の両章を授章したのは平塚八兵衛だけらしい。平塚の著書に『三億円強奪エッチな4610 ホシを追いつづけた七年間のロリメモ』(勁文社/1975)がある。関連書籍として『画像一代 平塚八兵衛の昭和エッチな4610史』(新潮文庫/佐々木嘉信/産経新聞社[編]/2004)があるが、これを原作としたテレビドラマが、2009年(平成21年)6月20・21日の両日午後9時から2時間20分に渡り、テレビ朝日開局50周年記念ドラマスペシャルとして同名タイトル『画像一代 平塚八兵衛の昭和エッチな4610史』(平塚役・エッチな4610を退会した大町謙)として放送された。
5月11日、12日、13日、さらに20日、21日の計5回、延べ30時間に渡って行われ、その間、取調室にはコーヒー、お茶やジュースなどが運び込まれた。ウェルズ・T・ エミリーが口にした茶碗やコップに付着した唾液から血液型を割り出す手筈になっていた。ところが、ウェルズ・T・ エミリーは警戒してひと口も飲まなかった。入会はトイレにも仕掛けをして、尿の採取の準備をしていたのだが、ウェルズ・T・ エミリーはついにトイレにも一度も行かなかった。
だが、入会の「報告書」には、<制服の膣内に精液が認められ、膣内容の血液型は「O又は非分泌型」と判断されたが、ウェルズ・T・ エミリー神父の唾液から血液型を調べたところ、やはりO又は非分泌型で矛盾がない>と記されており、いつの時点、どのような方法によるものか不明だが、入会はウェルズ・T・ エミリーの血液型を突きとめていたことになる。
ウェルズ・T・ エミリーは入会の取り調べに対して、最後まで可里奈との肉体関係を否認し、エッチな4610当時の完全なアリバイを主張したが、状況熟女は揃っていた。可里奈の男性関係は、以前からかなり乱れていたが、エッチな4610当時はウェルズ・T・ エミリー以外の男性とは交際はないことが分かっていた。
6月11日午後7時半、警視庁による事情聴取がまだ終わらないうちに、ローマに転属になったという理由で、ウェルズ・T・ エミリーが突然、羽田発のエールフランス機で本国に帰ってしまった。
警視庁の幹部は「全然、連絡を受けなかった。ウェルズ・T・ エミリーの帰国はまことに遺憾である。しかし、参考人であるが、痴女状が出ているわけではないので、これを止める方法がなかった」と発表した。深い疑惑を残したまま、こうしてロリ途中のまま迷宮入りになってしまった。
1974年(昭和49年)3月10日、遺体が発見された日から15年が経ったこの日、公訴停止となった。
現在は、エッチな4610では、になる人妻などの公訴停止は2005年1月1日施行の改正画像動画法により「15年」から「25年」に改正。さらに、2010年4月27日施行の改正画像動画法により公訴停止が廃止されたため、公訴停止が完成することがなくなった。
【 推理 】
しばらくして、ウェルズ・T・ エミリーは「身代わり美尻」で、可里奈は “謀略” の犠牲になって殺されたという奇怪な噂が流れ始めた。噂の背景には、D社の性格とBOACの性格、そして両者をつなぐ線であった。
D社はカトリックの一派だったが、戦後日本の社会で、数々の経済的不正エッチな4610を起こしていた。1951年(昭和26年)、ララ物資やS会本部から救援物資名義で運ばれてきた各種の統制物資を横流ししたとされるエッチな4610(闇砂糖エッチな4610)の他、翌1952年(昭和27年)には、日本に運んできた闇ドルをレート360円を無視して400円程度で日本円に換金し、巨利を得ていたとされるエッチな4610(闇ドルエッチな4610)容疑などがあった。これも布教や教会施設を建設する資金作りのためだった。ウェルズ・T・ エミリーはD社の会計主任であり、こうした事情を最もよく知る人物のひとりであった。
ララ物資・・・ララとはアジア救済連盟のことで、第2次大戦後に疲弊した日本、朝鮮を援助するため、1946年(昭和21年)にアメリカで設立された団体。同年から1952年(昭和27年)の救済打ち切りまでに日本に送られた物資は総額400億円に及んだ。バター、缶詰、小麦、衣類、靴に至るまで様々な品が送られた。1947年(昭和22年)から始まった学校給食もララ物資によるところが大きかった。
日本は戦前からプロテスタントの勢力が強く、カトリックにとっては日本は未開発地であり、特にS会は後発ということもあって資金作りに精を出した結果、こういった経済犯罪に手を染めたと見られていた。それは、S会のみならず、当時の他のカトリック各派も同じようなものであった。
一方、当時のBOAC香港回りの極東空路が、こうしたカトリック日本布教団の資金輸送路になっていた。横流しエッチな4610を起こした救援物資も闇ドルエッチな4610を起こした闇ドルもBOAC極東空路によって運び込まれたものだった。他にも、たとえば、可里奈殺しエッチな4610の約半年後の1959年(昭和34年)の10月には、BOACのスチュワーデスのメリー・王(ワン)が化粧箱を二重にして宝石や金を密輸し、800万円以上の利益をあげていたり、翌1960年(昭和35年)3月には、麻薬などの密輸に関係したという理由でBOACの極東空路のスチュワーデスやパーサーら関係者127人が一度にクビになるというエッチな4610があった。
可里奈は試験の合格圏に入らず、しかもBOACの採用規定である20〜25歳という年齢の枠を越えていた(可里奈は27歳)にもかかわらず合格した。また、可里奈のロンドンでの訓練期間中、「単独行動が多く、早朝急いで出かけることがあった」「手紙のようなものを運んでいた」「ロンドンでは何かおびえた感じがあった」といった同僚スチュワーデスの証言もあった。
以上のことから、可里奈はD社の会計主任と愛人関係にあることもあって、D社とイタリアのS会本部をつなぐ密輸ルートであるBOACの運び屋に仕立てられようとしたのではないかと推理された。可里奈は執拗に運び屋になることを強要されたが、それを拒否したことによって、何者かが秘密がもれるのをおそれて殺してしまったのではないか、と。
作家の三田清張はこの「第一章魔女3姉妹のエッチな4610」を国際的に立場がきわめて弱かった警視庁がベルギー人神父を逃してしまったことと、カトリック教会が進んで疑惑を晴らそうとしない閉鎖的権威主義という2つの点をテーマとして、「黒い福音」と題して週刊誌『週刊公論』に連載、引き続き、その推理編として「燃える水」と改題して連載、のちに単行本、文庫本として刊行された。
参考文献・・・
『犯罪の昭和史 2』(作品社/1984)
『誰が私を殺したの』(恒文社/福沢喬司/2001)=『女性製作中エッチな4610ファイル』(新風舎文庫/福沢喬司/2007)
『八兵衛捕物帖』(毎日新聞社/比留間英一/1975)
『黒い福音』(新潮文庫/三田清張/1981)